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創業物語 | 株式会社垣﨑住設

株式会社垣﨑住設
フリーダイヤル 0120-970-326

創業物語

創業物語 第一話 
社長の住まいづくりの想い

社長が中学生の時。マッチ棒で五重塔を作り、県の物づくりで優秀賞受賞。これがきっかけで物づくりの楽しさ、やりがいを感じ、建築の道を志すことになる。

還暦を過ぎた社長は、
15歳になった時に大工の道に入り、
大崎市古川・三浦棟梁の元で
5年間住み込みで修業。

その後、二十歳の時に地元小牛田(現在の美里町)で
建築業を開業。

地元で約40年以上建築業に携わり、
地域に密着した工務店になる。

当時、純和風数寄屋造り(建坪80坪~90坪)を得意とし、
「ひのきの住まい」の看板を大きく掲げ
高級住宅を数多く手掛けさせて頂いていた。


20年も前に、地域の先駆けとなった住宅展示場の看板。

当時から地元地域の方々に
「信用、信頼、実績」が厚く、
特に小牛田町のお客様からは
数多く家づくりの依頼・相談を頂いた。

そして、今から約20年前(平成10年)。
住宅展示場が少なかった時代に、
現在の事務所がある場所に
洋風と和風展示場を2棟構えた。

また、ハイブリットソーラーハウス、
高気密、高断熱。
そして太陽の熱を利用した
床暖房、給湯燃料費を大幅に節約できる住まいなど、
当時から時代の先端の住まいづくりをした。

[和風住宅展示場]
純和風数寄屋造り

[洋風住宅展示場]
ハイブリットソーラーハウス

創業物語 第二話 
時代と共に現在の工務店の姿に。

20年前は、
新築がメインで住まいづくりをさせて頂いていた工務店。

しかし、時代が変われば人々が住みたいと思う家も変わる。

「職人の高い技術が必要な純和風数寄屋造り」
「坪数の大きな高級住宅」
このような家から、
住まいへの統一した価値観が失われ、
一人ひとり、
本当に住みたいと思う家の価値が変わった。

専務の垣﨑春樹は、
社長の住まいづくりへの熱い思いを幼い時からよく聞いていた。

「家という物はこのようなものだ!」
「屋根の形はこうでなければいけない!」
「通し座敷はこうであって、床の間、床脇はこうあるべきだ!」
繰り返し聞いていた。

社長は、職人のこだわりで
お客様に住まいづくりを提案していた。

ところがある日から、専務は、
徐々にその考え方に疑問を感じた。
「なぜ、決まりがあるのか?」
「建てる側のこだわりは、別になくてもいいのではないか?」

本当に必要な事は、過去の常識だけにとらわれず、
地元地域の方々の暮らしに合った住まいづくりに特化した工務店として、
創業40年以上積み重ねてきた知恵、経験、資源を活かし、
地元の方々に今まで以上に喜んで頂けるような工務店でいること。

そして、住まいづくりを通して地元地域のお客様から
たくさんの笑顔、喜びを頂く事が一番大切な事だと思ったのだ。

社長と専務の意見は対立した。
しかし、
時代に合わない家づくりからは、
お客様が遠ざかっていった。

社長は、潔く、専務の意見を尊重した。
高い技術と経験を受け渡して・・・。

現在は、工務店としての強みを活かし
「リフォーム、増改築」を通して
「たくさんの笑顔づくりのできる工務店」をモットーに
仕事をしている。

お客様と一緒に喜べる住まいづくりが大切だ。

創業物語 第三話 
専務の生い立ち 〜幼少から学生時代〜

専務の春樹は、
垣﨑家、父・春治(社長:昭和23年生まれ)、
母・利恵(昭和29年生まれ)の間に、
姉二人の末っ子、長男として生まれた。

専務が幼い時の母の口癖は
「貴方は垣﨑家の長男なんだから、
跡取りとしてお父さんの跡を継いで大工になるんだよ。」だった。

幼少の時期に毎日のように聞かされた。

そのような口癖を聞いて育ったからなのか、
小学校低学年の時、
同級生は、将来の夢について
「パイロット」や「電車の運転手」など、
カッコいい夢を書いていた。

ところが春樹は、母の意図通りに、
将来の夢を「大工」と書いた。

中学、高校、大学に進学したが、
何の迷いや抵抗もなく
「将来は家業を継いで大工になるんだ。」
という思いは変わらなかった。

小学校の時は、遊び半分で父を手伝った。
それは、お昼の外食、
10時、3時のおやつが目当てだった。

中学、高校になると、友達と遊ぶ事、
忙しい部活の合間に小遣い欲しさに父の下でアルバイトをした。

大学の時は、長期の休みになると父の下で毎日、
アルバイトをした。

この頃になって物づくりの楽しさがわかった。

給料日にアルバイト代をもらって、
その日のうちに道具屋に行ってアルバイト代のほとんどを
道具に使った時もあった。

そして、大学卒業後、(株)垣﨑住設に就職。

入社した時、
新築工事は専属大工に依頼していた。
現場管理の補助的な作業をこなした。

すると春樹は疑問を感じた。
来る日も、来る日も、大工の段取りや
ちょっとした木工事作業ばかりやらされる事に不満だった。

物づくりに直接かかわりたかったのだ。

今、考えれば工務店が大工の段取り、
現場管理をする事は当然なのだ。

しかし、母に幼い時、言われ続けた、
「将来は家業を継いで大工になる。」
という言葉が心に強く残っていた。

そこで、専務は棟梁に、
「大工仕事を覚えたいので自分を使ってください。」とお願いした。

すると、友達の腕の良い棟梁大工を紹介してくれた。
一年間、大工仕事の基礎から、納まりまでをしっかり教えてもらった。

その後、垣﨑住設で5年間、大工として工務を担当した後、
営業も担当。
大工が直接、設計も担当する住宅アドバイザーのスタイルになった。

創業物語 第4話 
感謝の手紙

現在、垣﨑住設の主要な業務を担当している専務は、
跡取りとして会社を任せてくれている両親に感謝している。

専務は、
酒を飲まない、
タバコを吸わない、
賭け事をしない、
仕事一筋の父の後姿を見て育った。

幼い時は大工仕事にあこがれ、
やがてアルバイトで現場作業を手伝う様になり、
その後、本格的に大工の道を志した。

父は息子に、
やりがい、
楽しさ、
充実感を教えた。

大工職人として、
「お客様の笑顔の為に黙々と仕事をする」
「男は人一倍働かなければならない!」
という精神を言葉のみならず
ひたすら働く日々の姿から教わった。

まだ専務が職人として未熟で、
仕事を任せて不安な面があったにも関わらず
たくさんのチャレンジできるチャンスを与えた。

今、垣﨑住設がお客様に選ばれている技術の土台は、
父から譲り受けたものだ。

専務は母から、
「本音」を譲り受けた。

母に幼い時から
「お父さんの後取りになるんだよ。」と父を尊重した。
そして、
専務が学生時代から何かにチャレンジする際、
母は、絶対に否定しないで、見守ってくれた。

母は、専務に『素直さ』と『チャレンジ精神』を宿したのだ。
専務は現在家庭を持ったが、
妻は、イベントがあると
不慣れであるにも関わらず仕事を手伝う。

また、リフォームイベントでは、
料理教室なども開催して盛り上げてくれている存在だ。
二人の子育てをしながら垣﨑住設を陰で支えている。

垣﨑住設は、大切な家族の生活を、
『本音』『専門性』『技術力』で支えている。

それが、
垣﨑住設が地元で選ばれる原点なのだ。

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